読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

すずとことりと 

~21世紀の出張絵本屋さん。読んで、歌って、ときどきマルシェ~

「絵本セラピスト基礎講座 終了検定」終了

『絵本セラピー』

「絵本セラピスト基礎講座」終了検定が終了して、わたくし、「基礎絵本セラピスト」なりました!!!

日曜日の終了検定と認定試験検討会 まとめです。

午前中は前日に続いて終了検定。4人の方の15分プログラムの実演。

参加者も10人あまり?大勢の前で、という緊張感は少ないけど場の熱量が高かった。

隙間がない感じ。前に立つ人と参加者の気の交換のボリュームが大きい。みたいな。

って全部わたしの主観ですね。さらに重ねると、みんな親しくなってるから受け入れる空気が

できていて心地よいテンションの高まりがキープされてる時間。わたしはそんな風に感じました!

イメージとして残ってるのは4人の方それぞれの個性が花のように咲いていたこと。

それは土曜日と同じく。

10人以上の15分プログラムを続けて受けたというのは、その数の個性に触れたということ。

まるで自分が川底の小石になって流れにまかせて周りの石と擦れあって揉み倒された。

絵本がどうだったかというより、二日たって振り返ると残ってるのはそんな体感ばかり。

もちろんノートを見れば、読んでもらった絵本やその声。ワーク、交わした言葉やたっちゃんの解説が

まざまざと蘇るんだけれども。

「あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である」(Jim Rohn)

最近、ネットで印象的だった言葉。

存在の影響力ということかなあ。終了検定でみんなの個性の表れに触れたことがすごく

大きく自分に響いてその余韻がまだ続いてる。

それから、自分もみんなの前で自分を出した。プログラムをすることが自己開示になるんだ。

順番が来る前のドキドキは、丸出しになる自分を受け入れてもらえるかどうかの不安、

批判されることへの恐れだったんだろうか。

みんながわたし宛の振り返りシートを黙々と書いてくれていた時間がすごく嬉しかった。

-「絵本セラピー」とは、絵本を介したコミュニケーションを通して参加者及びセラピストの

気づきと行動変容を援助する「場づくり」である。-

終了検定でもまさにこれ↑が起きてた?

そして午後は認定試験検討会。

それは考えてきたプログラムが、絵本セラピーの構成に沿っているか。はみ出しているところはないか。

をたっちゃんに、客観的に!検討してもらう会だったのでした。

わたしも60分プログラムの構成を見ていただきました。

細かく丁寧にテーマ、選書、ワーク、それぞれの意図を見てもらっていくと・・・ブレが、出てくる。

出てくる。出てくる。×∞・・・。

たっちゃんの言うことは、ほとんど「絵本セラピー基礎講座」のテキストに書いてあることだけ!

なのに!作り方は最初の2日間で明確に、とても丁寧に教えてもらっていた。なのに!

とても、とてもシンプルに確立されてる基本の柱を無視していた自分・・・。

言い訳すればするほど、それが基礎工事なしにおったてた砂上の楼閣というか柱なしに枝葉で覆った

はりぼて的ななにか。自分メガネがくもりまくって誤認していた事実が明らかになる。

「この絵本である必要がない」

1冊の選書にこだわりを持ってしまうと、その言葉で自分自身を否定されたような気分になる。

私の場合、自分のお恥ずかしい性質の表れのように思えて悲しくなりました。

でもこれは12年続けてきた声楽レッスンでの学びと酷似してたのです。

これと同じことを何回も何回も繰り返してきてる。それはもう痛い痛い思いを何度もして、

愚かな自尊心が隠れ蓑に誂えた自己概念などはいとも簡単に崩れる落ちることを学んできました。

だからホントは平気なのです。むしろ叩き壊す快感で笑えてくるくらいスッキリ。

それで依るべきものは基本!ということが命題としてくっきりと浮かび上がってきました。

私自身への覚書になりますが、基本に沿っているかどうかを客観的に検証する。

これはプログラムを作る過程でとても重要な作業です。

わたしが「良い」と思っていることに共感してもらう会ではないのに、

それをやりがちな自分に注意です。

歌でも、何より大切なのは頭声を保つこと。オペラ声といいますか。

地声ではない響く声で曲の全部の音を鳴らすこと。

骨盤底筋の支えが緩まないようにしっかり保つことが必要なのです。

ベルカントの声を保つ身体のポジションを体得して機能させることが基礎構造。

それをはみ出たら声楽ではなくなってしまう。

楽器である身体に曲という枠をはめて、それはすべて楽譜に書かれている通り。

音の小ささ、大きさ、強弱、速さなんかを書いてある指示通りに正確に再現すれば、

喜びも悲しみも聞いている人に届きます。

それは偉大な作曲家が音で感情を表現できるように作っているから。

歌手の感情移入や演技は要らないのです。

身体という構造と、曲という枠がしっかりしていたら、歌手はそこに入ってその曲の

時間を生きればいい。意識は今にあってその一瞬の連続に自分の命を吹き込む。

たとえ曲を正確に再現するテクニックが足りなくてもその時の持てる力を最大限に

発揮していれば観客の心を動かすことができる。と、わたしはそう信じて歌っています。

そうやっていると選曲のこだわりというのもなくなってきて感情ではなく意図的に

選ぶようになってくるのです。

音楽というものの前で何度もコテンパンのぺちゃんこになり続けているうちに

自分の小ささが身に染みて音楽の偉大さにひれ伏してしまって、そこに飛び込んで

丸裸になるのが怖くなくなってしまいました。

曲はやってみればどれもこれもそれぞれに魅力があって素晴らしいし、

その曲に出会ったご縁でとことん付き合って、自分で解釈して枠組みを作るのも面白い。

曲を絵本だと思ったら、絵本セラピーも声楽と同じように

わたしにとっての生きる証のような存在に

これからなってくるのかも知れません。

そうなったらいいなあ。

そうなるように、まず1本目の60分プログラムにとことん付き合ってみることにするのだー。